「あなたの道はここだけではない云々」って。そのとき初めて自分を客観視して、本気になりました。

今回の安房美人は、コンテンポラリー・ダンサーとして、また館山にあるアンナバレエスタジオで講師としても活躍する、春田真耶子さんです。

— 真耶子さんがバレエを始めたのは2歳半の頃と、とても早くからですが、バレエに関する最初の記憶は何ですか

最初は、母の友達のスタジオで習っていました。バーに掴まって立っていたとき、母がスタジオから出て行ってしまうのが見えて、「ああ、お母さんが出て行っちゃう」って心細くなったのが、一番最初の記憶です。
それから今まで、ブランクなしで続けています。

— ブランクなし、とは凄い!

両親がバレエをやっていたので、同じ道を行くのは私にとってごく自然なことでした。頭を使ったりせず、ご飯を食べたりするのと似たような感覚で、高校の頃までは、のほほんとやっていました。ストレッチもあんまりちゃとしてなくて。
でも、高3の時に、転機が訪れました。

— その、転機とは?

父と母が所属していた東京バレエ団のオーディションを受けて、その通知の文面を読んだときです。「あなたの道はここだけではない云々」という、つまり不採用でした。そのとき初めて自分を客観視して、本気になりました。
次の年も、その次の年も受けたのですが、受かりませんでした。当時の先生からは、「個性的な顔立ちだし、音感もあるから、東京バレエ団に固執することはないんじゃない」とも言われましたが、暗に気づけってことだったのかな。
その頃、アイドルにはまっていた頃だったので、バックダンサーや商業ダンスに憧れてみたり、カメラのシャッター音が好きなので、写真の学校に行こうか、とか色々考えたのですが、やはり一度バレエ学校というのを経験してみたい、と気持ちが固まりました。
当時日本にはバレエ学校がなかったので、留学することになりました。

— 踊りを離れることはできなかったんですね、どちらへ行かれたんですか

最初の留学先は、カナダのバンクーバーで、ホームステイで10ヶ月ほど。小学生の男の子と女の子がいる、とても温かい家庭でした。日本だと、どうしても東京バレエ団に所属している両親のイメージがあるみたいで「あの春田さんのお嬢さん」と思われることが多いんです。そのことから開放されたというのが大きかったですね。
バレエって、細かいところへの意識がハンパ無いんです。いざバレエスクールに通ってみると、毎日新しい発見がありました。
次にニューヨークへ二年ほどです。父が若い頃住んでいたところを一緒に旅行して、ニューヨークの空気に感動したのがきっかけです。みんな誰かに言われたから何かをやってるのではなく、本当に好きでやりたくて集まってきている。バレエ学校もピンからキリというか、ピンしかない。
ここで、レッスンする気持ちが変わりました。雲が晴れたかのようでした。



2011/09/15
 
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只今鋭意制作中。もう少々お待ちくださいませ。

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